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とおーいいにしえ、遣唐使と菅原道真 [旅行・地域]

きょう、所用で大野城跡に行った。

眼下に広がる太宰府市、その向こうには筑後平野、遙かにかすむ水縄(みのう)連山が展望できる。
写真左の青いウェーブした屋根が今年秋オープン予定の九州国立博物館。

大野城は、天然の地形を利用した朝鮮式山城で、西暦665年に完成した。
これに先立つ西暦663年、百済を助けるために唐・新羅軍と朝鮮で戦ったが、戦いに破れた。
反撃を恐れ、太宰府政庁を守り、逃げ込むための山城を築いた。
山城の周囲には8kmの土塁を山頂尾根部などに作り、周囲を固めたそうだ。
たった2年程で作り上げるほど、唐・新羅軍は怖かったのだろうか。

まてよ、唐には遣唐使として幾人もの人が中国大陸に渡っていったのではないか。

第一次遣唐使は、630年(舒明2)の犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)の派遣によって始まった。
200年以上にわたり、当時の先進国であった唐の文化や制度、そして仏教の日本への伝播に
大いに貢献したが、894年(寛平6)に菅原道真の建議により廃止された。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
戦いに負けても、遣唐使は出していたのか(第5回(665年) - 守大石・坂合部石積が派遣)。
ウムム、しぶとい、図太い、外交関係。

太宰府に流され、太宰府天満宮に奉られた菅原道真によって廃止されたのか。
なんという、奇遇だろうか。

この眺めに、とおーい古に思いを馳せる。
さらに古の卑弥呼、邪馬台国はいずこかな。


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